抗がん剤治療体験記Stage1「乳がん宣告」

緒川みおさんの身に起きた突然の「乳がん宣告」。そこからどのようにして病気と向き合い、治療の選択をしていったのか。実体験を語ります。

乳がん寛解ライターだから書ける、抗がん剤治療と副作用の体験談

いまでこそ、ピンクリボン運動や自治体の無料健診など乳がんに対する啓発活動が盛んですが、当時、女性特有のがんはそれほど注目されていませんでした。胃がんや肺がんで亡くなる人のほうが多かったからです。

女性に対する保障の意識が高い外資系カード会社から「女性特有のがんを保障するお得ながん保険」の案内が届いたこともありますが、食後の晩酌を欠かさず、毎日2箱タバコを吸うような生活を送っていたわたしは、「なるなら肝臓がんか肺がんのほうが確率高いよね」と目もくれずにおりました。

それがまさか、自分にこんなコトが降りかかるなんて!

◆結婚後半年で「乳がんステージⅢ」を宣告

“チクチク”が“グリグリ”に変わった瞬間

以前からときどき、チクチクと右胸の外側が痛くなることがありました。触っても何かできているわけではなく、しばらくすると症状がおさまってしまうので、そのままにしているのが常でした。

生理の前や、仕事の納期近くになるとチクチクすることが多かったので、月経前のPMS症状(月経前症候群)か、ストレス起因の帯状発疹かなあ、と特に気にせず放っておいたのです。

その年は、結婚式と祖母の葬儀が前後し、そのあと単行本の締め切りが2本もあって、年明け前から慌ただしい日々が続いていました。なんとか仕事も終わらせて、無事に寿退社。これからは自由とラヴを謳歌できるぜヒャッホイ!と思っていた矢先のことです。

半年くらい忙しさで忘れていたチクチクが、久しぶりにやってきたことに気づきました。そろそろ生理だし、またいつものやつかと思いましたが、念のため右胸を触ってみると…ナニコレ!? ピンポン球くらいの大きさのグリグリしたものが指先に触れたのです。

結婚半年で乳がんが発覚!!

これは「しこり」だ。わたしはただちに理解しました。そして、「この大きさはタダゴトではすまない」ということも同時に感じました。考えるより先にPCを立ち上げ、家から一番近い、乳腺外来のある総合病院を検索。その晩帰宅した夫にしこりを発見したことを話し、翌日、チェックしていた総合病院にダッシュです。

通常、しこりの検査は細い針で細胞を採るだけで済み、その結果がよくなかった場合に改めて「針生検」(太い針でガッツリと組織を採取する)というものを行うのですが、触診後、エコー検査を始めた外来の先生は即座に、「針生検しましょう」と言いました。

先生の真剣な顔つきがコトの重大さを物語っています。抵抗する間もなく、太い針のついた機械が取り出され、右胸から組織をもっていかれました。ちなみにこの検査、麻酔ナシなのでめちゃくちゃ痛いです。

通常1週間程度かかるところ、特急で結果を出してくれるという手配をしていただき、「急がないとマズい状況!?」と緊張感は高まる一方です。2日後、夫とともに病院を再訪。予想どおり、grade3(腫瘍の悪性度。最高値は4)の悪性腫瘍であることが判明しました。

「がんになってごめんなさい」から生き残りをかけた戦いへ!

自分でも意外なほど冷静に現実を受け入れた

不思議なことに、がんになったこと自体はそれほど苦痛に感じませんでした。じたばたしても始まらない、そんな気持ちでした。膵臓(すい臓)がんで亡くなった父が闘病生活で苦しむ姿を見て、がんという病気の恐ろしさをそれなりに理解していたにもかかわらずです。

実際がんを宣告されてみると、これから苦難が降りかかる自分の身を案ずるよりも先に、周囲に対して申し訳なく思う気持ちでいっぱいになりました。「がんになってごめんなさい」というのが、そのときの正直な気持ちです。

そして次に「どうしよう困った」と頭を抱えました。仕事をすっぱり辞めて家庭に入った私は、一刻も早く子どもを産みたかったのです。

ただでさえ高齢出産に引っかかるお年頃の私を、快く嫁として迎えてくれた婚家に対しても、大の子ども好きな夫に対しても、少子化社会に少しでも貢献するためにも(おまけ)、さあ産むぞ、早く産むぞと、当時のわたしはヘンな使命感に燃えていました。

それまで仕事にかけていた情熱を、結婚&退社を機に、そっくりそのまま妊娠&出産にシフトしていたんですね、おそらく。

「子どもがいない人生もアリだよ」という夫の言葉で我に返る

そんな気合いマンマンのところに、いきなりのがん宣告ですから、軽くパニック状態です。過労とプレッシャーでぶっ倒れ「アタシがいなくなったらこのプロジェクトどうなるのォ~!?」と叫びながら、担架で運ばれていく仕事マンガの主人公みたいな感じでしょうか。

治療が始まったら次に妊娠できるまで何年かかるかわからない。これはもう、先に産むしかない!! 血迷ってとんでもない方向にテンションを上げていた私を見て、夫はこう言いました。

「子どもを産んだらおしまいみたいな考え方はしないでほしい。まずは病気を治そう。子どもがいない人生もアリだと思うよ?」

まったくの正論にぐうの音も出ません。その言葉を聞いて、私はようやく我に返りました。子どもが産めなくてもいいんだ、子どものいない人生も受け入れてもらえるんだ。それがわかった瞬間、肩の力が抜けてほっとしたのを覚えています。ありがとう夫。そうだよね、もっと冷静にならなくちゃ。

今はまず、目の前の“強敵”を倒すことに専念しよう。そして、この戦いに勝って必ず生き残るんだ!! 気がつけば私は、すっかりバトルマンガの主人公になっていたのでした。

病院選びは面会のしやすさを重視して選択

治療を受ける病院は、夫の同僚でがん治療の経験があり通院を続けている方から、Kという病院を紹介してもらうことになりました。K病院には乳腺専門の外来がありません。しかし、職場にも近く、仕事の帰りにも面会できることが夫的にはポイントが高かった。最初に診察を受けた総合病院だと、平日退社後に面会することはほぼ無理でした。

われわれ夫婦にとっては、これがよい選択だったように思います。短い時間であっても、毎日顔を見て情報を共有することで、患者である私も、それを支えてくれる夫も、お互いに「一人じゃない」という気持ちでがんに向き合うことができたからです。週末にしか面会できない状態であったら、半年の入院生活を乗り切ることができなかったかもしれません。

どんな病院を選ぶかは人それぞれだと思います。有名な名医がいる病院を選ぶ人もいるでしょう。陽子線・重粒子線治療といった先進医療を受けたいという人もいると思います。患者の希望や家族のサポートのしやすさなどに合わせ、納得して治療を受けられる病院を選ぶことが、サバイバーになる初めの一歩だと思うのです。